不動明王(ふどうみょうおう)は、仏教の明王の一尊です。
特に密教において重要な存在です。
「不動」とは「動かない」「不変」という意味で、「明王」は「王」または「仏教の護法神」といった意味です。
修行者が仏道において直面する困難や障害を打破する力「不動の心」を象徴しています。
不動明王 梵名(Acalanātha/アチャラナータ)
不動明王のサンスクリット語は「アチャラナータ」です。「アチャラ」は「動かないもの」を、「ナータ」は「守護者」を意味します。
五大明王・八大明王の中心となる明王です。
胎蔵界大日如来の教令輪身(化身)とされ、大日如来に代わって人々の煩悩を切り、悟りへ導く役割を担っています。
※ 胎蔵界曼荼羅では、持明院(じみょういん)に位置します。
三毒の煩悩を断ち切る剣と、悪を縛り上げ、人々を救い上げる縄、羂索(けんじゃく)を持ちます。
不動明王は通常、強い忿怒の相(表情)をしています。怒りをもって邪悪を排除し、真理を守る姿勢が表現されています。左手に「金剛杖」を持ち、右手は「印」を結んでいます。この金剛杖で悪を打ち砕き、印を結ぶことで仏法の力を表現します。
彼はしばしば火焰(炎)に囲まれた姿で描かれることが多く、この火焰は「煩悩」を焼き尽くす力を象徴しています。また、不動明王はしばしば「怒りの表情」とともに描かれ、その強い意志と覚悟を示します。
不動明王は「護法神」として、仏教の教えを守り、悪しきものを打破し、修行者や信者を守る役割を果たします。また、仏道を歩む際に遭遇する内外の障害を取り除く存在とされています。さらに、心の乱れや煩悩に悩む者に対しても、その力で心の安定をもたらすと信じられています。
不動明王は、一般的に「怒り」をもって悪を排除する存在とされますが、その怒りは「無益な怒り」ではなく、「真理を守るための正義の怒り」です。仏教においては、煩悩を焼き尽くし、浄化を促し、精神的な成長を遂げるための存在とされています。
特に密教(秘密仏教)において、その信仰は深いです。日本の寺院では、不動明王像を本尊として祀るところも多く、また「不動護摩」などの儀式も多く行われています。
護摩の儀式は、不動明王の智火を用いる神聖な儀式で、煩悩を焼き尽くし、衆生の内に秘められている「仏性」を開花させ諸願を成就させるという意味もあります。
不動明王は、三毒(貪瞋痴)煩悩を断じ、三障四魔や災厄を遠ざけ、衆生を守る護法神として重要な役割を果たします。その象徴的な意味は、忿怒の相に示されている強い意志や、「利他の心」です。
利他とは、「他人を利すること」をいいます。つまり、自分の利益だけでなく、他人の幸福や利益を願い、積極的におこなう親切な行動や思いやり、心の豊かさであり、共感性や精神性です。
不動明王と双璧をなすとまでいわれる、最強の尊格が存在します。
それが、まさしく古より秘密にされている「孔雀明王尊」という最強の明王です。
毎日続けることで災厄から身を守れる孔雀明王真呪の不思議な力、【最強の真言】孔雀明王呪:「最強の真言」の霊験と「護摩」の加持力
※ 「禍福は糾える縄の如し」、幸不幸が表裏一体で必ず巡ってきます。いつどこで、誰が、何が幸福をもたらし、何が不幸を生むか分かりません。油断大敵、常に沈着冷静に判断し、次のチャンスに備えてしっかりと準備をしておく。やはりお勧めは、真言を唱えたり、聞いたりすることです。大難は小難に、小難は無難に。毎日少しずつ聞くだけでも大丈夫です。焦らず・慌てず・諦めず、「功徳の貯金」(善行の積み重ね)によって必ず現世利益を授かれるようになります。